朝ドラ・大山捨松って何をした人?名前の由来や夫との関係を深掘り調査
2026年朝ドラ「風、薫る」で多部未華子さんが演じることでも話題の大山捨松(おおやま すてまつ)。
「捨松」という一度聞いたら忘れられないインパクトのある名前ですが、実はそこには激動の時代を生き抜いた母親の切なすぎるほどの愛と覚悟が込められていました。
実在された大山捨松さんは、単なる「鹿鳴館の華」ではありません。
大山捨松さんは、日本初の女子留学生としてアメリカで学び、帰国後は日本の看護や教育の土台を築いたまさに時代の先駆者なのです。
この記事では、「捨松」の名前の由来から、夫・大山巌さんとのロマンチックな結婚秘話まで、大山捨松さんの波乱万丈な生涯をわかりやすく紹介します。
大山捨松って何をした人?名前の由来
大山捨松さんは何をした人なのでしょうか?名前の由来を見ていきましょう。
「大山捨松」という名前は一度聞いたら忘れられませんよね。
実は生まれた時からの名前ではないんです。
捨松への改名
大山捨松さんの幼名は、山川さき(または咲子)と言われています。
11歳という若さで日本初の女子留学生としてアメリカへ渡ることになりました。
その際、母・えんさんが改名させたのが「捨松」という名前です。
愛のムチ
「捨松」には母の悲痛なまでの覚悟が込められていました。
お前を捨てたつもりで遠い異国にやるが、帰りをじっと待っている(松)
という思いから名づけられたと言われています。
当時の船旅は命がけで、一度離れれば二度と会えないかもしれない時代。
母はあえて「捨てた」という厳しい言葉を使うことで、娘が異国でくじけずに生き抜くことを願ったと言われています。
自分自身にも
必ず帰ってくるまで待つ
と言い聞かせたのかもしれませんね。
11年越しの再会
11歳で別れてから約11年後に捨松さんと母・えんさんは再会を果たしています。
母・えんさんは、自分が名づけた「捨松(捨てたつもりで待つ)」という言葉通り、娘の帰りをずっと信じて待ち続けていました。
再会したとき、母はどれほど安堵し、立派に成長した娘を誇らしく思ったことでしょう。
無事に捨松が帰ってくるように名付けた母の強い思いが、再び二人を引き合わせてくれたのかもしれませんね。
大山捨松は何をした人?
大山捨松さんは何をした人なのでしょうか?
名前が「捨松」と奇抜すぎますが、何をした人なの?と気になる方も多いのではないでしょうか?
大山捨松さんの功績は今の日本の教育や医療の土台になっています。
日本初の女子留学生
捨松さんは1871年、岩倉使節団とともにアメリカへ渡った5人の日本人初の女子留学生の一人でした。
10年以上の留学生活を経て、捨松さんは名門ヴァッサー大学を優秀な成績で卒業されています。
捨松さんは海外の大学で学位を得た日本人初の女性となりました。
鹿鳴館の華
捨松さんは、帰国後はその美貌と知性から「鹿鳴館の華」と称えられました。
捨松さんは長身で美しく語学も堪能。
子どもの時から身につけているダンスのステップも抜群だったそうでドレス姿も素敵だったそうですよ。
しかし、捨松さんはただ着飾って踊っていたわけではないようです。
日本初の「慈善バザー」を開催し、その収益を看婦護学校(現在の聖路加国際大学などのルーツ)の設立資金に充てるなど、日本の看護教育を強力にバックアップされてきました。
親友・津田梅子
一緒にアメリカへ留学した親友津田梅子が「女子英学塾(現在の津田塾大学)を創立した際、大山捨松さんは全面的なサポートをされたそうです。
大山捨松さんは運営のアドバイスや資金集めに奔走し、女子が高い教育を受けられる環境づくりに一生を捧げられたのです。
大山捨松って何をした人?夫との関係を深掘り調査
大山捨松さんは何をした人なのでしょうか?夫との関係を見ていきましょう。
結婚
捨松さんは会津藩の出身。
夫・巌(いわお)さんは、薩摩藩の出身。
明治維新の「戊辰戦争」で激しく戦った敵同士です。
当時はまだ戦争の傷跡も深く、二人の結婚は周囲から猛反対されたそうですよ。
しかし、巌さんは捨松さんの知性と自立心に惚れ込み、熱烈にアプローチしたそうです。
プロポーズ
面白いことに、長くアメリカにいた捨松さんは日本語よりも英語が得意で、薩摩弁の強い巌さんとは会話が難しかったという説があります。
二人は英語やフランス語で会話を楽しみデートを重ねたのだとか。
当時の日本としては考えられないほどハイカラで、お互いを尊敬し合う素敵なカップルだったそうですよ。
さらに巌には前妻との間に3人の娘がいたため、23歳で帰国したばかりの捨松さんはいきなり3人の母になったというのも驚きのエピソードですよね!!
大山捨松って何をした人?現代に受け継がれているもの
大山捨松さんは何をした人なのでしょうか?現代に受け継がれているものとは一体何なのでしょうか?
大山捨松さんの志は今もなお受け継がれています。
受け継がれる精神
2023年には女性リーダー育成を目的とした「大山捨松スカラシップ」が創設されました。
簡単にいうと
現代版の女子留学生を支援する返済不要の奨学金制度
です。
また津田塾大学でも大山捨松さんの名を冠した賞「大山捨松賞」が贈られています。
津田塾大学を卒業し、さらに海外の大学院で専門的に学びたい!という優秀な後輩たちを支援するための賞
だそうですよ。
これは、大山捨松さんが親友・津田梅子さんの女子英学塾(現・津田塾大学)創設を献身的に支えた功績を称えて、大学創立120周年を記念して作られた非常に名誉ある賞です。
朝ドラ
2026年の朝ドラ「風、薫る」では、多部未華子さんが大山捨松さんを演じています。
大山捨松さんはどのように困難を乗り越え、日本の女性たちのために道を切り拓いていったのでしょうか。
画面を通して朝ドラから大山捨松さんの遺してくれた功績をこれからじっくり見ていきましょうね。
よくある質問(Q&A)
Q1:大山捨松さんの本名は何ですか?
A:生まれたときの名前は「山川さき(咲子)」です。
留学の際、母親に「捨松」へと改名されました。
結婚して「大山捨松」となりました。
Q2:なぜ「捨松」という名前に変えたのですか?
A:アメリカ留学へ送り出す際、母が「捨てたつもりで帰りを待つ(松)」という覚悟を込めて改名しました。
Q3:津田梅子とはどのような関係でしたか?
A:同じ岩倉使節団の女子留学生として共に渡米した生涯の親友です。津田梅子の学校創設を捨松が物心両面で支えました。
まとめ
大山捨松さんは強烈な名前の由来通り、母の深い愛を背負って異国で学び、日本の近代化に大きく貢献した女性だったということがわかりました。
朝ドラの多部未華子さんを見る限り大山捨松さんは「鹿鳴館の華」という華やかなイメージしかない方も多いのではないでしょうか?
しかしその裏側には看護教育や女子教育のために尽力した強くて優しい信念がありました。
2026年の朝ドラをきっかけに大山捨松さんの素晴らしい生き方がさらに多くの人に伝わっていくことでしょうね。


