ミセスの「ダーリン」は、2024年のNHK総合で放送された18祭のために、ミセスが18歳の本音を聴き、大森元基さんが書き下ろした歌だ。
2025年の日本レコード大賞の優秀作品賞を受賞したことで、
もう一度、ミセスの「ダーリン」の意味を確かめたい。
今回はミセス「ダーリン」のジャケ写から、大森元基さんの心情や、そのジャケ写に携わった方の絵のテイストや空気感から読み解いていこうと思います。
ミセス「ダーリン」考察!ジャケ写のイラスト
ミセスの「ダーリン」ジャケ写のイラストを見ていきましょう。
引用:ナタリー
1本の赤いカーネーション
この花が、なぜカーネーションなのか?
赤いバラでもツバキにも見える花。
消去法で、ツバキは、和のイメージが強いので
この絵には、似合わない気がします。
バラか、カーネーションか。。。。
バラ:愛や情熱の象徴
カーネーション:母の日や父の日、家族愛
公式に「この花である」と明言されていないため、どちらかわかりません。
しかし、歌詞の内容や温かいイラストの雰囲気から、赤い情熱!より、温かい、大切な人への愛情を感じるので、私は、赤いカーネーションに1票!!
おじいさんと猫
ミセス「ダーリン」のジャケ写のイラストから、おじいさんと猫の穏やかな様子が見て取れます。
見返りを求めない深い愛情や、長年育まれた大切な象徴のように見えてきませんか?
「ダーリン」という言葉が持つ「最愛の人」という意味は、恋人に限らず、家族やペットなど、自分を無条件に愛してくれる存在を指します。
おじいさんと猫の組み合わせは、まさに普遍的な愛の形を描いているのかもしれません。
必ずしも寂しいときは、誰かといないといけないのではなく、普遍的な愛のカタチと一緒にいてもいいんだよ!と、アドバイスしているのではないでしょうか?
私の、ここでの普遍的な愛のカタチはミセスの楽曲です!
私たちに、この社会にいる人達に寄り添ってくれている歌だから。
そのように感じられている方もいらっしゃるはず!
おじいさんは大森元基?MVとの関係
ダーリンのMVで、大森元基さんが、明かりのついたランプを持って扉を開けて、部屋を出ていくシーンがあります。
開けた瞬間に、遠くに光が見えませんか?
さまよいながらも、明かりを灯しながら一歩一歩、前に進んでいく。
そして、ミセス「ダーリン」のジャケ写のおじいさんは、ランプで明るく照らして
左側(過去)を見つめています。
文字を書く方向も左から右へ、時間経過の表現方法も左から右へ時間が流れる時間軸がありますよね。
おじいさんは、過去の自分をみつめているのかもしれません。
ランプを手に持ち前に進もうとしている若者(過去の自分)をおじいさんのランプで「こっちだよ!!がんばれ」と、導いているようにも見えます。
大森元基さんが扉を開けた瞬間見えた光は、おじいさん(未来の大森元基さん)が照らしてくれている光なのかもしれません。
しかし、おじいさんが導ける人は、ランプ(希望)を持ち、暗い部屋から勇気をもって扉を開け前に進もうとしている若者(過去の自分)。
MVの中では、ミセスの3人がそれぞれ自分を客観的にみてもがいているシーンもあります。
僕らも、悩んでるだよ!とでも言っているような演出ですよね。
おじいさんは、前に進もうとしている若者を温かい光で導いているのではないでしょうか?
ミセス「ダーリン」のジャケ写とMVから、苦しんで悩んで考えて、半歩でも踏みだせば、光がみえるよ!!と、読み取れました。
ねぇ 私の私で居てもいいの?
あの子にはなれないし
なる必要もないから
学生時代の自分に伝えたいし、自分の子供にも、そして、悩んでいる若い人たちにも届いて欲しい歌詞であり、歌!
ミセス「ダーリン」考察!ジャケ写誰が描いた?
ミセス「ダーリン」のジャケ写は、誰が描いたのでしょうか?
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製作者
ミセス「ダーリン」のジャケ写の製作者は、イラストレータの齋藤祐輔(サイトウユウスケ)さん。
サイトウユウスケさんの作風・特徴
- デジタルで絵画表現をするデジタルペインティングを得意としている。
- 仕事の幅が広く、CDジャケット、雑誌表紙、広告と多岐にわたる。
- 色使いに柔らかさがあり、人物や日常風景に自然な温かみを感じさせる。
- インタビューで「背景をあまり描かないようにし、鑑賞者の想像に委ねる部分が多い。」と語っている。
そして、鑑賞者の想像を搔き立てられるようにディテールをしっかり描いて絵の中に宿る空気感を大切にしているようです。
ミセスの楽曲から感じられるものと通ずるものがありますね。
以前「Soranji」のジャケットも担当していて、ミセスと齋藤祐輔さんは、継続的な関係性があるようです。
だから齋藤祐輔さんの色使いや空気感がミセスのイメージに合っているように思えるのかもしれません。
重要なモチーフの猫
齋藤祐輔さんは、「Chack and the Girl」というシリーズを個展で長く描いてきています。
「Chack and the Girl」の紹介
- 猫のチャックと少女の物語のような作品で、コミック化している。
- チャック(猫)と少女(エイミー)をまとめて過去の自分だと語っている。
- 齋藤祐輔さん自身、中学生~二十歳ごろまでの自意識や疎外感、自分だけの世界という感覚をチャックと少女で表現している。
- その中でのチャックは、「捨てられた猫」という設定。
ダーリンのジャケ写の猫とチャックが同じという記載はありませんが、齋藤祐輔さんが大事な作品に携わる中で、自分の大事なチャックを重ねているかもしれませんね。
ミセス「ダーリン」のジャケ写は、捨てられた猫が優しいおじいさんと何かを見つめている絵。
若かりし頃の齋藤祐輔さんの葛藤や、自分だけの狭い世界、まさに自分の迷い悩み、そのすべてを猫に投影しているのか?
齋藤祐輔さん自身が過去を振り返り、「世界は広いよ」と、「悩んでいたけど今は幸せだよ!」と、若者を導こうとしている絵なのかもしれません。
ミセス「ダーリン」の考察!歌詞のダーリンて誰のこと?
ミセスのダーリンは誰のことなんでしょう。
Darling 僕の背中に乗って泳いでて
Darling 私の腕の中で休んでて
Darling 本当の音を聴いて
私は、Darlingをもっ君が私に呼び掛けてくれている!
そんな歌だと思って聞いていました。
もっと深いんだろうけど。
難しく考えずに、簡単に、素直に聞いてみる!!
もっ君の背中に乗って泳ぐ!
もっ君の腕の中で休む!
それは、歌の世界に連れて行ってくれるような感覚。
でもそれは、現実的ではないが、普遍的な愛に置き換えると納得できた。
それは、誰かに頼って世の中を見ればいいし、時には、立ち止まっていいんだよ!
そんなメッセージが込められているように思いました。
もっ君が本当の音を聴いて!
と、言っている。
ねぇ 私の私で居てもいいの?
あの子にはなれないし
なる必要もないから
自分を他と比べなくいいんだよ。
君の本音を教えて!
と、もっ君に言われているような。
Darlingは、大森元基さんがみんなに呼び掛けているんでしょうね。
みんな同じようなことで悩み苦しんで大人になっているんだよ。
若い子だけでなく、大人になった方たちにも共感を呼べる壮大なメッセージが込められいます。
大森元基さんの普遍的な愛が音楽を作ることで世の中で苦しんでいる人に温かく、生きるメッセージを送っているのでしょう。
まとめ
ミセス「ダーリン」の最後が、しつこいくらいDarlingが繰り返されます。
聞き始めの頃は、恋愛のDarlingと思っていたので、
「聞いているこっちが恥ずかしい!変な曲!」
とさえ思っていました。
しかし、ミセスの「ダーリン」を聴いて、ジャケ写をみているうちに、
色んな事がわかりました。
ミセス「ダーリン」のジャケ写の意味することは
- 一歩前に踏み出したら、希望の光りがみえてくるよ!
- 迷って悩んでいるのなら、誰かに頼ってみよう!
- 大好きな人、頼れる人、大好きな音楽・ペット何でもいいから。
- 立ち止まってもいいんだよ!
- 僕たちも一緒だよ。僕たちも同じように悩んでるよ。
- でもね、少しでも行動出来たら、希望の光が見えてくるよ!
ミセス「ダーリン」のジャケ写のおじいさんと猫は
普遍的な愛のカタチのひとつで、誰かが見守ってくれているよ!
ひとりじゃないよ!と、伝えているように見えます。
ミセス「ダーリン」全体の考察は、歌、歌詞、MV、ジャケ写全てからではないと、難しかったですね。
でも、簡単にこう思ってください!
もっ君がDarling、Darlingと私(達)に呼び掛けている!と。
もっ君も、一人寂しいかもなので、そこは、私たちがミセス「ダーリン」を沢山、聞くしかないですね!!
